過去の自分を消化させるために、
また、これからの宣言として、
はたまた、15歳の自分へ書きました。
もし、お時間があればご一読ください。
人生において、ある大きな決断をする時に、どの選択肢を選ぶべきか、そして選択後には、その選択肢は正しかったのかという不安が心の中に生じます。ここに於いて、23歳の僕が15歳の時に下した決断に後悔の念を抱いているため、考えてみたいと思います。15歳の時に考えておくべきことを、23歳になって考えているという慚愧の至りでありますが、向き合わなければ始まらないということで綴ります。
前者のどの選択を選ぶべきかを考える上で大切なことは、人は自身が考えられる範囲の中でしか選択することができないという自明な事を認識することが重要です。選択肢にないものは選択することができません。様々な人々との対話、視野を広げてもらえる先人、賢人の方々とお話しすることが大切であると考えます。また先人の話を鵜呑みにするのではなく、自分のフィルターを通して、答えを出すことが必要です。自身の知的探究心、好奇心に基づいて、正解がわからないモヤモヤする気持ちと向き合う必要性が出てきます。選択肢が全て揃い、ある一つの選択肢を選ぶ覚悟を持った暁には、周りの人間に流されず、あらゆる角度からの自問自答を繰り返し、自分の純粋な好奇心に従って、自分の意思によって行動をし続けなればなりません。
そして、後者の不安についてまず理解すべきは、未来というものは予測不可能であるため、そもそも正しい選択というものは存在していないことです。それに加え、未来と現在の自分像には、確実に差異が存在していることです。現在の自身の価値観が未来の自身の価値観と一致するとは限らないということです。これは、現在の自分が考える正解と未来の自分が考える正解が異なることを意味します。それらを踏まえ、現時点の自分ができることは、現時点における私の価値観、意思、時間、全てのエネルギーをある一つの選択肢を選ぶという行為に注ぎ込むことのみなのです。したがって、漠然とある不安をかき消そうとすることよりも、自分が選択した決断が正しいであるだろうという確信(考えうる選択肢をすべて考慮し、選択を取ったということからくるもの)が重要となるのだと思います。現在の自分が過去の自分に対して、持っている後悔の念はここから来るものであります。将来の自分はおそらく、現時点で選び取った進路に対して、あの時こうしておけばよかった、あっちの選択肢をとっていたらどうなっていたのだろうか、等の戯言は言いたくないだろうし、現在の自分が言わせないようにしたいです。言いたくないだろうし、言わせない。
その決断に対する結果がどうであれ、過去の自分、現在の自分、未来の自分を含む三者が納得するものとなっていると考えています。
sora